「バリア⇨乗り越え⇨達成感」を生む、あの行為!

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、「バリア⇨乗り越え⇨達成感」を生む、あの行為!


昨日、ストレッチ系のリハビリの際に改めて強く想ったことがあります。
ズバリ、あらゆる場面において
もっと「慣考」?という行為を意識していこうと。

まぁこの前も想ってたことなんですけど。
⇩⇩⇩

takechan8315.hatenablog.com



話は変わって僕は「服を着る」行為をする時右手だけでするので
上のリンクのようなああいう棒的なものを駆使して着るんですね。
こう、肩のところに服が引っかかったのを直す際に。
(パッと直せれた時というかそれがスムーズに決まった時は超気持ちいい。
たまたま見た人もかなりの感動、超ビックリ。?)

あと明けても暮れてもあの棒をいろいろな場面で
しょっちゅう使ってるのでか、
あの棒とゲキ連れ状態になってしまいましたね。
四六時中行動を共にしてますし。武士の刀のように。

あの棒がないと僕はたぶん生きていけないんじゃないかな...(苦笑)
(ホントは慣考ではなくて勘考なんですけどね。ちょっとあて字。
実際に辞書にある言葉です。)


この行為、けっこう想像力をかき立てるというか刺激があり
何かには効いてると思います。

新たな慣考例(品)を考える時間
時にはホームセンターでなんですけど、
またあの時間が超楽しいんですよね...
あと先程の棒のように慣考したもので何かをして
決まった時のスッキリ感というか。

結局、あの行為には「バリア⇨乗り越え⇨達成感(どうや感?)」
みたいなメカニズム?があるんだろうな...

あ、ちなみにこの慣考を考えたりしたりする行為を、
明けても暮れても同じようにやるというか
いつも同じ感じで続けるには、
こんな感覚、気持ちになるのがけっこうキーポイントになると思います。
⇩⇩⇩

takechan8315.hatenablog.com


こちらもよろしく!

⇩⇩⇩

「愚直に繰り返す」行為をしていると...

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、「愚直に繰り返す」行為をしていると...


昨日、ストレッチ系のリハビリの際に
改めて強く想おうと思ったことがあります。
ズバリ、同じ動きを繰り返すことで体に覚えてもらうというか
染み付かせる行為、新たな神経回路の確立?を意識しようと。
(けっこうな年数が経っても大丈夫らしいです。何が?)

ちょっと前にも想ってたことなんですけど。
⇩⇩⇩

takechan8315.hatenablog.com



話は変わって何年か前からやってるリハビリのひとつで
(3,4年前だったか... まぁお腹を空かすのが本目的なんですけど)、
通所している障がい者施設の廊下の隅でボッチャの遠投
(8,9mくらい。あ、ボッチャって正式なコートだと
奥行きが10mなんですよ。)
を2,30分ひたすら投げるというのをやってるんですね。

目標物のちょっと手前に敢えて一球邪魔なボールを置いて
それを交わしつつ(カーブさせながら)目標物に近づける行為というか。
(決まった時は超気持ちいい。
たまたま見た人もかなりの感動、超スッキリ。?)

あと明けても暮れても決まってあの距離ばかりやってるのでか、
あの距離のスペシャリスト状態というか
「乾の左斜め45度」みたいになってますね... (?)

 

こう、自分の好きな角度というか距離を
この感じこの力加減で投げれば必ずアソコに止まるというのか。
絶対的な自信になってる、あれ。
たとえヤバそうな状況にあっても
この形に持っていければ大丈夫だと言う、あれ。
(絶対距離感って言うんですよ。絶対音感の距離感版。
実際に辞書にある言葉です。)


こういう、何かをひたすらやるというか愚直に繰り返す行為って、
なんと言うのか自分の中に得意なかたち(自分のかたち)が
確立されやすくなるんですよね。
だんだん細かいチェックポイントも明確になってくるし。
(いい感覚になる?)

結局、先程の新たな神経回路の確立も他のことでも何でも
このメカニズム?と同じようなことなんじゃないかと。
と言うことは... (?)

あ、ちなみに「愚直に繰り返す」行為を、
明けても暮れても同じようにやるというか
いつも同じ感じで続けるには、
これがけっこうキーポイントになると思います。
⇩⇩⇩

「ものは使いよう」により、あんな効能も...

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、「ものは使いよう」により、あんな効能も...


今の夜9時CBCドラマ、オーケストラのヤツって
まだ6話なんですね... 早く終わらないかなぁ。
あの枠のドラマってけっこう面白いんですけど、
「VIVANT」以降の野球のヤツといいもうひとつで観てないですね。

「あの枠のドラマ」と言えば、
何年か前のラグビーW杯を日本でやった頃のドラマで
ノーサイドゲーム」ってあったじゃないですか。

そのドラマの中でのワンシーン、セリフ
「お前には誰にもマネできない飛び道具があるじゃねーか。」
が心に刺さり、ブログには障がい関連のいろいろなことを
「ネタ」として使い出したのを想い出します。

今までに経験したあらゆるバリア(障壁)、
またその時にした対峙法をふんだんに。
まぁその時は大変でそれどころじゃないんでしょうけど
今となれば完全にネタになってるんですよね。

車いす関連ネタ、片手ネタなどいろいろありますね。
入院ネタなんて自分はけっこう面白いと思ってるんですけどね...
だからバリアってめちゃくちゃおいしいことなんですよ。実は。
「ものは使いよう」ですよね。ホントに...

「ものは使いよう」と言えば、
まず僕が思うのはいろいろな箇所、場面でやってる行為
慣考なんてまさにものは使いようですね。
車いすブレーキレバーの延長棒。(元は水道管)

玄関扉のポスト。(元は滑り止めマット)


「慣考」とはちょっとした工夫のあるアイデア製品ではなくて
元来違う目的のためにつくられたモノを別の用途で活用するという意味合いで、
既製品のアイデア商品ではなくてふだん慣れ浸しんで使っているモノで
様々な角度からその使用用途を考えようといった感じというか。


それから車いすのものは使いようで言うと、こんなことも。
ズバリ、手助けの声がかかりやすい!(?)

車いすに乗っているとどうしても弱々しさがにじみ出てしまうのでか、
「何かお手伝いしましょうか?」と自動的に
声をかけてもらえることが多いんですね。

誰かを探さなくても思いきらなくても
何故かこっちを観てる人が必ずいるんですよね。

「ヤツは大丈夫だろうか...」と見守ってる人が必ずいるんです。(笑)

で、あとは目で合図するだけというか。
(これもおいしい...)

あと、多少おかしなことを言ってもやっても
スルーしてもらえるとかもありますね。

まぁとりあえず、何でもいろいろものは使いようですね!

 

 

いろいろなことをスムーズにさせる、○○さ加減!

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、いろいろなことをスムーズにさせる、○○さ加減!


昨日のサクッと書道は「自由さ加減」というワードにしたのですが

(ここのところのヤツは、なんとか加減ばかり書いてるので
「加減」という字がかなり上手くなってきましたね。
でも先生曰く、このかすれさすヤツはやり過ぎみたいです。
ちょっとなげやり感が出てると。
まぁ確かにちょっと自由さを出し過ぎてますね...苦笑)

直後のストレッチ系のリハビリでは
(サクッと書道は想像力⇧系スッキリさせる系のリハビリ)
毎度のように自由さ加減を意識するようなことを引き寄せてしまいました。

昨日のリハビリはリハビリの先生向けの研修に
実験台の患者役として参加?したのですが、(たまたま)

よそから来たスゴ腕と言われる講師の先生と教わっている普段の先生達に
全身のいろいろな箇所のツボを押されまくったからなのか、
今日は体がなんか変な感じなんですよね...

あと、僕が時々体がややですけど斜めになってるのを
リハビリの先生達が氣にしてたみたいで、
車いすと背中の間にクッションを入れられたりして
姿勢の矯正を強制的にさせられたり...

時々体が斜めになってると聞いて、
あ、だからか、車いす利用者になってから
性格もより斜めってきてるのは...と。
(手術で脳をイジッてるからだとばかり思ってたけど。笑)


このクッションを背中のところに入れるのをすると、
ガチッと固定されるというか全くズレれないというか
体の微妙な動きが出来なくなるんですね。

これ、けっこう大きなことなんですよ。
いろいろなことをスムーズにさせるというかいい感じにさせるのに
自由さ加減に影響するんです。
車いすの座り具合もハンドルの遊びのような感じ?は重要なんですよね...

まぁ他のことでも当てはまるものもあるんですけど
自由さ加減って重要だな~と改めて想わされました。

こちらもよろしく!
⇩⇩⇩

takechan8315.hatenablog.com

 
 
 
 
 

あんな場面にもありそうな、○○への刺激効果!

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、あんな場面にもありそうな、○○への刺激効果!


今日、朝一で歯の定期清掃で歯医者に行ったのですが、
いつもながらに感覚が磨けましたね。(?)

歯医者って顔の上に布をかけるじゃないですか。
視界をシャットダウンするというか。
ああいう風に視覚が利かなくなると他の5感
特に聴覚がそれをカバーしようとなる訳なんですが、
ちょっと敏感、鋭い感じになるんですね。なりますよね。

まぁ歯医者に限らずですかね。たとえば散髪時の顔剃りの時とかMRI時とか。
あと僕が経験があることで言うと手術中なんかもそうなんですよ。

(あ、下半身麻酔とか部分麻酔の時はです。
全身麻酔の時は当然分かりませんよね。
昔、20歳の頃に膝の靭帯を切った時に
下半身麻酔で手術したんですけど、
手術中は顔に布を被されけっこうな音でFMラジオを聴かされてましたね。
たぶん手術のグロテスクな音が
聞こえないようにするためなんでしょうけど。)

また話が飛んでますね...m(__)m

で、歯医者では顔に布をかけられて聴覚が鋭くなる訳なんですけど
普段あまり聞かないようないろいろな物音や話し声が
やたらと耳についていろいろ考えさせられると思うんです。
(まぁこういうのが気にならない人というか
耳に残らない人もいるでしょうけど。)

あの時って冴えてるっていうかいろいろ深く考えれるですよね...
つまりいろいろな感覚が磨かれるんです。


感覚が磨かれると言うと、
僕は真っ先に想うのが電動車いす
コントローラーのジョイスティック操作。

ジョイスティック一本で前進バック曲がるのも減速も。
あのアナログ的な動きそしてその時感じるものに
なんか感覚的なところがけっこう刺激を受けてると想うんですよね。

電動車いすの操作だと超限定されてしまうので何かを操作するで。
ズバリ、何かを体系的に操作することって
感覚的なところへの刺激に有効なんじゃないかと。
たとえばラジコンだとか最近だとドローンだとか。
あと先程の歯医者のヤツとか。

で、なんでそういう感覚的なところの刺激がいいと思うかと言うと
これからの時代の大きなキーポイントと言われる
「感性を研ぎ澄ます」行為に繋がると想うので。


感覚的なところを刺激と言えば、
昨日やったサクッと華道にもその要素がありそうです。

ちなみに今回の作品はこちら。
⇩⇩⇩

 

 

ちょっとしたことをしやすくする、あの力加減!

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、ちょっとしたことをしやすくする、あの力加減!


2,3日前にボッチャの体育館練習に行っていたのですが、
「あぁ、またあそこのトイレの扉に挟まれるのか...」と思いきや、
その時は思いの外スムーズにイケたんですよ。(?)
一応ちゃんとした車いす用のトイレなんですが、
扉のストッパーが建てつけが悪いのかで

ここのところ利きが悪いんですね。

そこが利かないと扉に挟まれながら通り抜けるというか、
強引にならざるを得なくてキズをつけないか気が引けるんですよね...
(あ、僕が左手が使えなくて
動く右手は車いすジョイスティックを握ってるので。)

引き戸のストッパーって
ちょうどいい力加減でしないと跳ね返るじゃないですか。
あれに入れるのがまた難儀なんですよね。(^-^;
ストッパーに入れるいい感じの力加減、
ソフトタッチさ加減が求められるというか。

それがこの前はめっちゃ調子がいいっていうか完璧だったんですよ
ナイスソフトタッチさ加減だったんですよ...(笑)
こう、ピンポンダッシュのようにというか
ショットガンタッチみたいな感じなんですけど。(?)


この絶妙な力加減、
ソフトタッチさ加減ってけっこう重要なんですよね。
いろいろスムーズにしたりいい感じにするのに。
あとこれのおかげで危機一髪っていうのも。

何でもちょっとしたことでイケたりするじゃないですか。
そのちょっとしたことをしやすくするんですよね。
このソフトタッチさ加減って。

僕なんかは年々この能力が磨かれてる氣がしてますね。
たぶん積極的に(自動的になんですけど)
使ってるからだろうな...
人間のあらゆる能力って意識してるとホント伸びやすいんですよね

でもやっぱり「感覚」に感謝です!

takechan8315.hatenablog.com



しかしこれはたぶん、この前のサクッと書道の字が
「ソフトタッチさ加減」だったから、
「ソフトタッチさ加減を意識」にスポットが当たってたんでしょう

ちょっと浮かし気味に緩めてというかソフトタッチさを出すと、

このように1列に6文字くらいまでなら
なんとかイケるんですよ。
(まぁ細い筆ならもっとイケるんでしょうけど
細い筆では書きごたえがないんですよね。
スッキリできないというか。)

半年くらい前にも同じようなワードを書いたんですが、

この時は「ピッて跳ねて敢えてかすれさすヤツ」が
ちょっと無理から感がありますね。(苦笑)

ソフトタッチ力... ちなみにこの時の記事はこちら!
⇩⇩⇩

「手助け」という行為にある、こんな効能!?

バリア・フリーアドバイザーのたけちゃんです。
本日は、「手助け」という行為にある、こんな効能!?


2月に入って正月の能登半島地震から早1ヶ月が経ち、
時々観るそういう系のニュースではボランティアの方々の
活躍姿に心を奪われてる訳なんですけど、

ああいう災害ボランティアは車いす利用者の自分には
全く出来ないことなのでホントすごいな~、
カッコいいな~の一言ですね。
こんなこと言うとあれなんですが今想うと災害ボランティア経験、
健常者の頃にやっておけばよかったな~と。

東日本大震災の時はちょうど車いす利用者になりたて
というか入院中で病院の風呂の中で揺れを感じてましたね。
もっと前の阪神大震災の時は(一応関西にいました。)
まだ学生でかなりどうしようもない人間でしたから、
揺れでパチンコ台がおかしくなって出るんじゃないかと...

地震後はパチンコ屋に行きまくりだったので
ボランティアとは無縁なんですよね。
唯一行ったことがあるのは車いす利用者になってからの
ボッチャの大きな大会の運営ボランティアですかね。確か受付でしたね。

でもほとんど役に立ってなかったですね...
車いすがスペースをとって邪魔だし、
言語障がいがあるので声が小さくていろいろな案内もままならないし、
テーブル上の資料を集めて客に渡す動作も苦戦しながらでめっちゃ遅いし。
(僕は左手が使えないので。それを見かねたほとんどの客は
自分で集めてましたね。セルフサービス状態。)

ボランティアに行って逆に手助けされてました...(苦笑)


さておき、僕は時々車いす関連の動画を観ることがあるんですが、
この前、大変そうなとかピンチになりかけている車いす利用者というか
そんな人に出くわしたら介助するべきか否かの
声かけのタイミング的なこと?を議論している番組を観たんですね

手を出すのが余計なおせっかいになってもあれだし、
(確かに時々いますしね。手助けされる行為が苦手、
好きじゃないっていう人。僕もそうなんですが。)

かと言って放っておいて事故的なことに遇わせてしまったら
責任感じるし、なかなか判断に迷うところがあって
なんともかんともなことなんですが、
手助けにはこんな効能もあると想うんですよね。

「手助け」という行為に手助けする側の
活力⇧勢い⇧効果があるんじゃないかと。
まぁ手助けする側だけの効能になるんですが。
(助けてもらってる訳だからそんなことないか...)

今まで何かを手助けされてる最中の相手の人の様子

というか表情を観ていると、
心なしか勢い、活力に溢れてる感じがするんですよね。
(手助けされながら時々さりげなく観察してるんですよ。チラッ...笑)

ただ単に氣合いが入った状態なだけかもしれないんですけど、
なんかイキイキ具合がそれとは微妙に違う氣がするんです。
(誰もがそうじゃないんですが。)
その理由も一応僕の中ではあるんですが長くなるので、また...

まぁとりあえず、「手助け」という行為には
手助けする側の活力⇧勢い⇧効果があると思います!
だけどこれは先程も言いましたが
手助けする側だけの効能になります。
手助けされる側のことも考慮に入れてたら、
訳分からなくなりました...m(__)m